自分の生きにくさは発達障害そのものより解離から来ているのでは?

中2の時から虚無感と同棲している。

好きなことも興味があることも、ふと一歩引いて見てしまうと取るに足らない無意味なものに思えて萎えてしまう。その繰り返しで趣味でも何でも長期間継続できたことがほとんどない。

太宰治を読んで”これは自分の話ではないか?”と思う人はそれなりにいる気がするけれでも”トカトントンhttps://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2285_15077.htmlは、あれこれは僕の話かしら、と思って恐ろしくなった。

人と話が合わない、興味を共有できない、そういった孤独感はずっとあって、それは自分の発達障害っぽさから来ているではとずっと思ってきた。一方で自分が好きになる人や憧れる人は発達障害っぽい人が多くて、特に医者の世界には、成功している人の中でも、それなりにいる気がする。

思うに、医者って頑張り続ける外的なインセンティブがあまりない。頑張っても給料が上がるわけではない。不確実性要素が強くて頑張っても良い結果につながらなかったり、差が出てくるのは数十年後だったりする。外科系は比較的、差がわかりやすいけども、それでもそこまでアウトカムに差が出ない。というか差が出ないように多くの手術が洗練されてきている。

だから、コンプレックスであったり、他人と共有できないこだわり、みたいのが勉強し続ける医者には必要なのだと思う。(研究を頑張る人とか、競争が激しい環境にいる人は必ずしもそうではないかもしれないが)そして、発達障害的な要素がその点プラスに働くことがある気がする。

同僚やコメディカルとのコミュニケーションが上手いのは臨床医として大事なことだけど、そこに長けてる人はやたら飲み会しがち、勉強しながち、という傾向ある気がする。

発達障害であることは医者の世界では強みになることもある。ただし、仕事にフルコミットできていれば、というふうに思う。働くことや医療そのものの価値を疑って虚しくなることが多いから自分は駄目なのだと思う。発達障害そのものではなくて、虚無感を拭いきれないところが駄目なのだと思う。

 

最近見つけたこのブログを見てそんなことを思った。

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